さあ、この時から日本の歴史は大きく変わります。外国船が大砲持ってやってきた。ぼやぼやしていると国が滅ぼされてしまう。今の幕府ではダメだ。新しい国をつくらなければ――。そうして起こったのが明治維新。維新によって変わったのは、政治や社会制度だけではありません。日本人のスキンケアもまた、ここから大きく変わりました。この時を境に、もう、今までと同じようにスキンケアをして、それを誇りに思うことはできなくなってしまつたのです。江戸時代のスキンケア文化は確かに高度なものでした。けれどそれは、鎖国政策の下でのお話。問題は、開国後にやってきた外国人の目には、それが決して美しいとは映らなかった、ということです。なぜなら当時の日本人のスキンケアというのは、こうでしたから。アンチエイジングしていた0眉がないこれを見た外国人はどう思ったでしょうか。当時の記録を見てみましょう。歯に黒いニスのようなものを塗り直して、眉毛をすっかりむしりとってしまった時には、……あらゆる女性のうちで、人工的な醜さの点で比類のない程ぬきん出ている……彼女たちの回は、まるで口を開けた墓穴のようだ。「大君の都」オルコック彼女らがつつましくはほ笑むと、ルビーの唇が開いて、恐ろしげに腐食した歯ぐきに真っ黒な歯が並んでいるのが、ニュッと現れた。「日本遠征記」ベリーほうれい線対策禁止の欧化政策すごい。まるでホラー小説のよう。日本人がいくらきれいと思っていても、そのスキンケアは西洋人の目から見ればグロテスク以外の何物でもなかったのです。文化が違う国では美意識が違うのは当然のことですが、当時の西洋人にとっては日本は後進国でしかありません。そうして、新型の銃や大砲を持ってやってくる西洋諸国と刀が命のサムライでは、力の差は歴然。あっという間に不平等条約を結ばされてしまった日本は危機感を募らせます。
アンチエイジングとニキビケア
このままいけば植民地にされてしまうのは必至。アンチエイジングやほうれい線対策を続けていては、西洋諸国から野蛮人と思われて、日本は下に置かれてしまう―あわてた明治政府は明治3年、まず皇族、華族に対しアンチエイジング・ほうれい線対策禁止令を発布します。西欧諸国に太刀打ちできるような軍備を急ぐと同時に行われたこの禁止令は、西洋人から見下されないためのルックス改革だったのです。たかがスキンケア、では片付けられません。西洋人と同じ格好をしないことには同じ土俵に上れない、正常な国交ができないというのであれば、ことは政治的問題です。そのため、改革は上から下へと進められました。率先してアンチエイジング・ほうれい線対策をやめたのは皇后で(それでも発布から3年後の明治6年のこと)、それにならつたのは上流階級の婦女子たち。江戸時代には、スキンケアのトレンドリーダーは役者や花魁で、流行は社会階層の「下から上へ」と伝わるものでしたが、明治のスキンケアの西洋化は、国策として「上から下へ」と伝えられたのです。上流婦人たちの西洋化は、さらに明治16年、鹿鳴館時代になると加速します。鹿鳴館というのは、不平等条約撤廃を目的として、外国の外交官に日本の欧化ぶりを認めさせるために建てられた社交場。要するに、西洋風の身なりとマナーを身につけて「私たちだつて文明人なんですから、対等に扱ってくださいね」と西洋人にアピールした場です。ここで、上流階級の婦人たちは西洋人の接待役としてドレスを着てダンスを踊らなければならないのですから、さすがにアンチエイジング・眉なし、というわけにはいかなかったでしょう。
そんなわけで、上流階級ではルックスの西洋化は急務でしたが、 一方、庶民レベルではどうだったでしょうか。実は、禁止令が出たからといって、庶民はすぐには従いませんでした。鹿鳴館なんて全然関係ないことですし、だいいち西洋人なんて見たこともない彼女たちにとっては、アンチエイジング・ほうれい線対策のいったいどこが悪いのか、理解できなかったことでしょう。アンチエイジングは結婚が決まった時に始めるスキンケアで、ほうれい線対策は子どもができたら始めるスキンケア。どちらもおめでたいこととセットになった風習です。しかも、女のコが初めてアンチエイジングをつける時には、近所の7軒の家から鉄漿水(アンチエイジングの液)をもらうという儀式もあったので、地域のおかみさんたちとのつきあいも無視できません。お上の命令よりも、近所のおかみさんたちの「今どきのコは、歯を染めないなんてねえ」なんて言葉のほうが、嫁入り前の女のコにはおそらく効いたことでしょう。庶民の生活習慣に根付いたアンチエイジングはなかなか慮れず、それどころか明治2。年代には、粉末のインスタントアンチエイジングが発明されたことから、より盛んになってさえいます。政府の禁止令、どこ吹く風。明治政府のルックス改革では、涙を流してチョンマゲを切った武士がいたというのに、庶民の女性たちは堂々とアンチエイジングを続けていたのです。そして、ようやく大正時代になると、西洋風俗が庶民の間にも行き渡るようになりますが、それでもまだアンチエイジングはなくなりません。田舎の旧家の嫁などでは、家のしきたりに従って、という理由で歯を染め続ける人がいましたし、また、そうでなくても、アンチエイジングを捨てられない女性たちは多かったのです。次に挙げるのは、大正初期の婦人誌に掲載された読者の美容相談から。
それまでに皮膚科に通ったり、色々な薬を使ったりしてからうちのサロンに足を運ばれるので、そんなに楽で簡単なお客様ではありません。ひどいニキビの方はお肌に触ることもできませんので、体質のチェックをして体質改善から開始します。そうすると、きれいになっていく速度を一段と速くすることができます。体質改善でニキビも少し落ち着いたら、サウナや赤外線で汗を出したり、呼吸法の指導を行ったりします。最後には美顔の施術に入ります。毛穴に詰まった皮脂を取り除き、殺菌、消毒などで、ニキビを枯らしていきます。何年も悩んでいた自分の顔のニキビがなくなると、お客様は明るく、積極的な性格に変わります。こんな時、「ああ、私達の仕事は、人の人生までも明るく変えることができるんだ」とこの仕事に就いた幸運をしみじみ噛み締めることができるのです。
また、皮脂の分泌が多い脂ぎった肌や毛穴の開きや汚れ、二重あごなどを気になさる方も増えてきました。最近は清潔志向の方が多いのです。古い垢(角質)をピーリングにより取り除いたり、毛穴に詰まった皮脂を取り除いたり、開いた毛穴をキュツと引き締めたり、肌に不足している栄養分を導入したりと様々なテクニックを使い、さっばりと爽やかなお肌を作ります。フエイスラインを引き締め引き上げていく顔やせマッサージには皆さん大変驚かれます。脱毛のお客様も、やはりお若い方が多く、20代から30代の方が大半です。「彼女に毛深いのが嫌だと言われた」「胸毛がいや」「カミソリ負けがひどい」など様々なお客様がいらつしゃいます。中には「お寿司を握るので、手の甲の毛をなくしたい」というお客様もいます。昔は毛深いことに悩んで、 一生温泉にも行けなかったという人も、今なら脱毛して温泉に行くこともできます。今は、髭だらけの顔も、つるつるすべすべの自くて、清らかな顔に変えられるようになりました。脱毛は自分ではできず、毛深いことの悩みは人によつては大きいものです。これからも機械や技術の進歩を注意深く見守りながら、たくさんのお客様の悩みを解消していきたいと思っています。
お客様達は仲間同士でとても楽しそうに自分がやつて成功したことなどを話して、他のお客様へのダイエットのアドバイスなどもしていました。ダンデイハウスのお客様達は、サロンで他のお客様ともすぐお友達になってしまいます。開放的なサロンの造りが良かつたのかもしれません。 一緒に飲みに行ったお客様同志が体重を増やしたと翌日はダンデイハウスで叱られていたということもしよつちゆうありました。ダンデイハウスでは、主に痩身、美顔、脱毛、リラクゼーションなどのサービスを提供ています。初めて痩身のカウンセリングにいらしたお客様に、「目標は?」とお聞きしますと、判で押したように、「大学時代の体重に戻したい」とおつしやられる方が多い。ダンデイハウスのお客様は皆様、大学時代によほど楽しいことがあつたようです。コースがスタートすると、女性に比べて体重の減り方は早く確実です。男性は目標達成の為、計画を立てて実行するという習慣がついている方が多く、「今週末までには体重は○○増にしましょう」と数字とグラフをお見せすれば、その通りにして来られます。若くてきれいなエステティシャンの手前、できないと言えなくなってしまっているのかもしれません。もちろん体重が落ちると上司にも部下にも誉められるので、嬉しさからか俄然張り切ってしまわれる方も多いです。その分、私達にはプロであることを要求します。専門家としてあらゆる質問に答え、指導ができなければ、サロンの秩序を維持することはできなかったと思います。男性の指導で一番難しいのが、食事指導です。
男性は国内外の出張があり、外食やお酒の機会が多いために調整が大変です。各店に1名は配置している栄養士達は、減量が順調でないお客様に毎日食事ノートをつけて頂き、食事の内容を約半年のうちに見事に健康的に変えていきます。通っている間に食事や生活の習慣を変え、ある程度筋肉を付けておかなければ、また以前の体に戻ってしまうからです。お客様と一緒にカルテの体重やサイズの減り具合を見て、どうしようかと一緒に悩みます。減ったら一緒に喜び、増えたら反省という繰り返しで、半年から1年間のお付き合いなるお客様もいらつしゃいます。美顔の目的で来店されるお客様は20代から30代が中心です。中でもニキビやニキビ跡で悩んでいる方が多くいます。
さて、ミッションは決まったものの、男性にどんなエステテイツクを施したらいいのか考え込んでしまいました。日本初の男のエステですから、お手本はありません。男性といっても基本的には女性と同じ「人間」なのですから、女性と同じ施術から始めました。しかし、男性ならではの施術の難しさがありました。男性にボデイクリームでマッサージをすると、足の毛を引っ張ってしまい、お客様に痛がられてしまいました。また、コツトンで顔のクリームを拭き取ると、綿が髭にまとわり付いて取れなくなってしまうこともありました。
また、男性はお腹の揉み出しでは涙を流し、電気は怖がります。女性と比べると体がやわであるとつくづく思い知ることになりました。このような施術の経験や反省を踏まえて、男性に合わせた技術や商品、機器の改良、開発を今でも続けています。特に、痩身や美顔の指導において、男性と女性の指導方法には大きな違いがあります。男性は論理的に納得すれば、指導も上手くいくということも分かりました。男性にはグラフを使って説明し、日標を設定すると、そのままに実行するので、痩身の結果を出すのは、女性と比べて驚くほど簡単でした。紹介が多い男性のお客様また、男性と女性の違いの一つとして、男性は紹介が多いこともあります。一店舗目のオープン当時、ダンディハウスの近くに大阪大学医学部附属病院があり、そこのお医者様達が同時期に15人も通っていらした時期がありました。ドクター達は「ここに通うようになってから体調が良くなった」などと喜んで下さり、体のことや新しい論文のことなど、たくさんのアドバイスをして下さいましたまた、当時有名だったディスコ「マハラジャ」のマネージャーがダンディハウスで25聴も痩せたのを見て、30人程のお客様がみえたりしたこともありました。
私は「いつたい何が起こったのだろう」とびつくりしましたが、丁寧に取材を受け、男性へのエステテイツクの必要性を一生懸命に語りました。最初は面白半分で取材に来ていた人達も、本当にダンデイハウスを真面目に好意的に取り上げてくれました。男のエステは日本初。珍しさもあり、取材は続き、お客様は東京や沖縄からもいらつしやるほどでした。朝日、毎日、産経、読売、日経などの新聞、おはよう朝日、HPMなどのテレビ局の取材があり、それは大変な過熱報道となりました。男のエステは世界でも珍しかつたのでしょうか。ダンデイハウスには国内だけでなく、フランス、ロシア、香港など世界のテレビ局からの取材も来ました。女性のエステであるシェイプアツプハウスの競争は激しく、チラシ5万枚を配ってやつと電話が1本鳴るだけということもありました。 一方で、ダンデイハウスは、広告費用対効果で考えると、電話1本を2500円で鳴らすことができ、その差はあまりにも大きいものでした。ですから、覚悟をきめて、女性の宣伝は止め、広告はダンデイハウス一本に絞りました。
ダンディハウスはエステティックの技術によって、健康的で引き締まった体や艶のよい若々しい素肌を作っています。決まった通りに通って頂ければ、体や肌がきれいになるのは難しいことではありません。しかしそれだけでなく、エステティシシャンに優しく癒され、励まされ、しかも外見に自信を持つことで、勇気とやる気を持ち、雰囲気も自信たっぷりの「いい男」になっていくことができます。ダンディハウスで働くエステティシャン達は一流のプロを目指していますので、1回ごとに最高のサービスを提供しなければなりません。ダンディハウスから、自信たっぷりのいい男達を世に送り出し、ビジネスや政治の世界で、見た目も良くプラス思考で、積極的に人生を生きてもらえるような、そんな影響を与えられるようなサロンにしたいと考えています。そして、ダンディハウスは厳しく規律のある社員教育を行ない、サロンの秩序を維持したからこそ今日もあり続けることができています。規律の中には、お客様と外で会ってはいけないというものもあります。数年前、渋谷のサロンでお客様からお声掛け頂き、男女スタッフ3名がマクドナルドに一緒に行ったことがあり、翌日に三人共涙を飲んで解雇したこともありました。このような先駆的なダンデイハウスの誕生と成功は世界的に高く評価され、後に05年世界優秀女性起業家賞受賞に繋がりました。
サロンをオープンして4年後の人六年に、男性のエステティックサロン「ダンデイハウス」をオープンしました。この時も、お客様から「うちの主人も痩せさせて」「息子のニキビを治してほしい」と言われ、オープンを決めました。出来る限り、お客様の要望を叶えて差し上げたいと思ってのことでした。そのように思えたのは、本当に良いお客様に恵まれてきたからだと思います。「お客様が望んでいるのであれば、贅沢な社長室を改造して、ここにお客様のご主人や息子さんが通えるサロンを作りましょう」となつたのです。このように、ダンデイハウスはサロンの横にあった事務所と社長室を改造して誕生しました。大阪の難波、天王寺、京橋、そして4店舗目の梅田店がオープンして1年経った時で、私は梅田店の店長も兼任し、自衣を着てサロンを走り回っていたので、社長室に座っている暇などなく、お客様に使って頂ける方がずっと良いと思い、喜んで提供することにしました。さて、ダンデイハウスを作る時、「どんなサロンを作ろうか」と色々と考えました。今から25年以上前にアメリカ留学をして帰国し、久しぶりに日本のビジネスマンを見た時、日本男性のスーツ姿が野暮ったく、とても貧相にみえて悲しくなったことを思い出しました。「よし、ニッポンにいい男を作ろう―」と思いました。「見た目もよく、健康で積極的に仕事に取り組む格好いいビジネスマンを作りたい―」「世界を相手に堂々と戦える男を作りたい―」「大成功する男、大出世する男を作りたい―」――これがダンディハウスのミッションになりました。
ダンディハウスオープンの日に、大阪の地下鉄御堂筋線に「肥えた男は損をする!」という衝撃的なタイトルの中吊り広告を出しました。その日に、御堂筋線に乗つたサンデー毎日の記者が「変な広告が出ている。男のエステってなんだろう」と思い、オープン当日にダンディハウスを訪れました。男性にエステティックの説明をしてもピンと来ないようでしたので、「体験してみて下さい」とお願いしました。そして、エステティックを体験したその記者の記事が掲載されると他社からの取材が殺到しました。